すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

国語現代文を得点源にする方法 vol.1~センスなんていらない~

f:id:vaportrails:20170621040846j:plain

「現代文=センス」神話に騙されてはいけない

数ある入試科目の中でも、特に国語現代文は「センス」や「圧倒的な読書量」が求められ、もっとも「短期間で勉強の成果が出にくい」科目だと思われている節があります。しかしこれは大きな間違いです。

もし現代文が本当にそのような「センス」を要求する科目だとしたら、はたしてそのような感覚的でアバウトな能力を、試験によって数値化/採点することができるでしょうか?

つまり、たとえどんなに根本的なセンスが問われる科目であっても、試験という形で出題されるからには、必ず「採点可能な形」に、つまりは「努力が報われる形」に最適化されているということです。

現代文読解に必要なのは「センス」ではなく「コツ」である

たとえば、これまで現代文読解に必要だとされてきた「センス」を「コツ」と単に言い替えてみるだけで、途端にこの科目が短期間で結果を出しやすい科目に思われてくるはずです。求められているのは「感覚的なセンス」ではなく、「具体的な技術であり方法」だということです。

人は勝算が見えない場合、その敗因を「センス」のひと言で片づけたがるものです。しかしこういう場合に使われる「センス」という言葉には、まったく意味がありません。単に「なんだかわからない何か」を総称しているだけで、それはたとえば同じく「なんだかわからない何か」をひとくくりにする「超能力」という言葉とあまり変わりありません。

しかしそんな人知を越えた「超能力」を客観的に採点できる人などどこにもいません。その優劣を判断できるとすれば、それは「手品」のように技術的な側面に限られます。どちらも同じ超常現象に見えるかもしれませんが、少なくとも後者は「なんだかわからない何か」などではなく、タネも仕掛けもある具体的な「技」と「方法」です。

「知っていること」ばかりが出題される科目は現代文だけ

そして我々は、普段何気ない文章を読むときでさえも、すでに日本語読解のための具体的な「技術と方法」を駆使しています。あとはそれを、「意識的に使いこなせるかどうか」の違いです。たとえ運動能力が高くても、それをしかるべきタイミングと方向で、適材適所で使えなければ記録にはつながらないように、能力には「使い方」というものがあります。

逆に言えば、現代文という科目で試されているのは、基本的に国語という能力の「使い方」だけだということです。他の多くの科目においては、まず前提となる知識があるかどうか、つまり物事を「知っているかどうか」が試されますが、現代文の場合は一部の漢字/用語問題を除けば、基本的に「知っていること」ばかりが出題されます。

たとえば日本史で習っていない箇所が問題文に出てきたり、英語で知らない単語だらけの長文を読まされたらさっぱり意味がわからないと思いますが、現代文で読んだことのない文章が出てきても、まったく意味がわからないということはないはずです。

「知らないことを知ること」のみが勉強ではない

受験生の中には、「勉強」というものの本質を「知らないことを知ること」だと捉えている人が少なくないと思います。たしかに多くの科目では、知らないことを知ること、つまり暗記して知識をつけていくことで、成績を上げていくことができます。

そして普段勉強をそのように狭く捉えている人が、現代文対策に何をやればいいのかわからない、現代文は所詮センスである、と決めつけてお手上げ状態になってしまうのは、ある意味当然のことかもしれません。なぜならば現代文の勉強とは、「知らないことを知ること」ではなく、「知っていることをどう使うか」という方法を身につけることだからです。

現代文が得意な人も苦手な人も、持っている武器は同じ

得意な人にとって、現代文が最大の楽勝科目であるのは、すでに「日本語という基礎知識」を、自分が武器として持っていると感じているからです。

反対に、苦手な人にとって現代文が対策不可能な科目に思えるのは、「日本語という基礎知識をすでに自分が持っているにもかかわらず太刀打ちできないということは、これ以上武器を増やしたり強化しても勝てないのではないか」と思ってしまうからです。

そしてこの苦手な人の感覚は、ある意味正しいと言えます。なぜならば、少なくとも大学受験レベルにおける現代文読解の能力とは、武器の問題ではないからです。

実のところ現代文が得意な人も苦手な人も、持っている武器(=日本語)の量や質に、さほどの違いはありません。もし持っている武器が一本の剣であるとするならば、両者の決定的な違いは武器そのものの違いではなく、それを操る「剣術」のレベルの違いです。

現代文が苦手な人は、日本語という武器をやみくもに振り回している

現代文の得意な人が「すでに自分は充分な武器を持っている」と感じるのは、実は武器そのものに満足しているのではなく、それを操る有効な「剣術」がすでに身についているからです。

そして現代文の苦手な人が「自分には充分な武器がない」と感じるのもまた、同じく武器の問題ではなく、その武器を生かす「剣術」を磨いていないからです。

現代文問題ならではの「方法=約束事」をマスターすること

ここで言う「剣術」とは、もちろん勉強における「方法」にあたります。とはいえそれは、実際の「剣術」のように、命を賭して修業するような厳格な道ではありません。その方法とは、現代文という科目の本質を、つまり文章というものがどのように書かれ、どのように読まれ、どのように出題される約束になっているのかということを、丁寧に理解していくというだけのことです。

それこそ、今後僕がここに書いていく文章を読むことさえできれば、現代文の読解力/解答力は自動的に伸びていくはずです。以後、現代文攻略のより具体的な方法について、書いていくつもりです。

まずは少なくともここまで読むことができた人は、すでに自分には現代文に必要な武器が充分に備わっていると思ってください。あとは「方法」だけです。

Copyright © 2017 すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている All Rights Reserved.