すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

受験勉強の鍵を握る「ついで力」

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受験で求められるのは「能力」などという圧倒的な力ではない

受験に成功する人と失敗する人の決定的な違いとはなんでしょうか? 多くの受験生はこれを愚問と感じ、「結局は能力の違いでしょ」と思っているかもしれませんが、それはむしろ「能力」というものの価値を安く見積もりすぎています。「能力」というものはもっと固有かつ圧倒的なものであって、何千人単位が入れる大学の受験生が共有できるようなレベルのものではありません。

ましてや固有の「能力」を測るのは、選考する学校側にとっても非常に面倒な作業なので、画一的な入学試験ではとても対応できません。ゆえに入学試験で測ることができるのは「能力以前の何か」でしかありません。それはもちろん、将来的には「能力」とつながっていくものだからこそわざわざ試されるわけですが、かといって志望校を受験する時点において必要とされるのは、「能力」などというたいそうなものではあり得ないわけです。それはほとんど敗者の言い訳にすぎない。

試されているのは「能力」ではなく、その手前にある「習慣」である

ではその受験で試される「能力以前のもの」の正体とは何なのか? そうなるとつい「潜在能力」という言葉を使いたくなりますが、どうやらそれも違います。「潜在能力」という言葉には、むしろ「能力」以上に「努力ではどうにもならない感じ」が潜んでいるからです。受験で求められているものは、もっと「努力でどうにかなるもの」に違いありません。そうでなければ、誰も受験勉強など最初からしないはずです。

つまり受験で求められているものとは、「能力以前のもの」でありながら「やがて能力につながっていくもの」であるということです。それはある種の「習慣」とでも言うべきものかもしれません。よりもったいぶった言い方で「方法」と言いたいところですが、「方法」を繰り返して身についたものが「習慣」です。たとえば私たちが日ごろ行っている「歯磨き」という動作も、最初の段階では「方法」として意識的に行われていたものが、やがて「習慣」化して自然とできるようになったものであると言えます。

受験勉強を最大効率化してくれる「ついで」の習慣

それでは受験勉強において最も重要な「習慣」とはいったい何か? それは勉強に限らず、何事においても「ついでにやっておこう」という「習慣」です

「なんだそんなことか」と高をくくってはいけません。受験勉強においてはよく「効率」が重要視されますが、この「ついで」というのが、実のところ最も「効率の良い動作」であるからです。

たとえば母親に、「ベランダの洗濯物を取り込んでおいて」と頼まれた場合、あなたは取り込んだ洗濯物を、どうするでしょうか? 

ハンガーにかかった状態のまま、そこらへんのソファの上にでもポンとまとめて放置しておきますか? それとも、取り込んだついでにハンガーを外しておきますか? あるいはさらについでに、服を畳んでおきますか? もっとついでをいうならば、畳んだ服の中から自分の分を選んで、自室のクローゼットにしまいますか? 欲を言えばもひとつおまけに、外したハンガーのほうも、あるべき場所に片づけておきますか?

こんな風にいちいち書くとだいぶ面倒くさいですが、ただ「洗濯物を取り込んでおいて」とひとこと言われただけでこれを最後までできる人は、社会に出ると「もの凄く仕事のできる人」です。しかもこの一連の動作を、行ったり来たりせずに、あくまでも最初の動作からの「ついで」の流れでスムーズにこなせる人は、かなり「有能な人」です

勉強とは「ついで」の連続である

「いったいなんの話をしてるんだ?」と訝しむ人もいると思いますが、これはまさに勉強の話をしているのです。「勉強」という作業とはつまり、「ついで」の連続によって成り立っているからです。

たとえば英語長文を読んでいて、意味の取れない文章に出くわしたとします。まずはここでわからない文章に出会ったついでに、その文章のどこがわからないのかを突き止める「習慣」があるかどうかで学力は大きく分かれます

そして意味のわからない単語があるならば、そこでついでに辞書を引くかどうか。さらに辞書を引いたついでに、その単語を用いた例文まで読むかどうか。その単語の持つ他の意味まで読むかどうか。

あるいは構文が取れていないならば、そこで文法の参考書をめくってどのパターンに当てはまるかを確認するかどうか。そして参考書の該当箇所に載っている例文まで読むかどうか。さらにはその長文に再チャレンジしたときのために、わからなかった文章に印をつけて痕跡を残しておくかどうか。

とにかく勉強という作業には「ついで」が溢れていて、それをまったく無視してしまう人と、次々と着実に「ついで」をこなしていく人のあいだには、同じ問題に取り組んでいるにもかかわらず、とんでもない実力差が生まれてしまいます

「ついで」の連鎖が知識を積み上げていく

「そんな面倒くさいこと、いちいちやってらんない」と思う人も少なくないかもしれません。しかしそこで「ついで」をやっておかなければ、結局はまた別の機会にもう一度その作業を改めてやることになるのです。

取り込んだ洗濯物をそのままソファに放置しておいたら、自動的に畳まれてクローゼットに入ってくれるわけではありません。のちほど誰かがその場に改めてやってきて、ハンガーを外したり、畳んだりしなければならないのです。置いておけば自然に自分の部屋のクローゼットに収まっているのは、お母さんが残りの「ついで」を全部やってくれているからなのです。

しかし勉強に関しては、他人に「ついで」を任せるわけにはいきません。もう一度同じような問題にぶつかったとき、あなたは前回やり残した「ついで」を、ソファに置きっ放しになっている洗濯物を、改めて取りに来なければなりません。そして長期間放置されていた洋服は、もはやすっかりホコリをかぶっていて、もう一度洗濯機を回すところからやり直さなければならないかもしれません。

つまり「ついで」はそのときにやらなければ「ついで」でもなんでもなく、二度手間三度手間というとんでもない非効率を招いてしまうことになります。そして多くの人が、実は気づかぬうちにこれをやっているのです。「ついで」のチャンスが発生したときに「ついで」をしっかりやっておかないと、毎度イチからやり直すことになってしまい、知識が積み上がっていかないのです。

「ついで力」は日頃の習慣によって身につけることができる

知識というものは基本的に、単体では弱く脆いものです。しかしそれが周辺の知識と結びついたときに、初めて脳内に安定した場所を手に入れることができます。そしていったん他の知識と結びついた知識はなかなか離れないため、たとえその本体を忘れてしまっても、周辺の知識からなんとか引っ張り出すことができるようになります。

勉強というのはつまり、そうやって「ついで」を積み重ねていくことで、様々な知識を連関させながら身につけていくことです。そしてこの「ついで力」とでも言うべき力は、最初に言ったように「能力」というほどのものではなく、「習慣」として身につけることが充分に可能なものです。「ついで」は全体を「効率化」させてくれるうえ、将来的に仕事にも生きてくる重要な「習慣」ですから、日常生活のレベルから早い段階で身につけておくことを強くお勧めします。


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