すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

受験に勝てる子を育てたければ、親は子供の「努力」を褒めてはいけない

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「努力すること」を褒められて育った子は、「努力することそれ自体」が目的になってしまう

受験というのは、徹底して「結果至上主義」の世界です。これは言ってしまえば受験に限らず、世の中全体がそうであることの映し鏡でしかないのですが、受験においてはどんなに人一倍厳しい努力を重ねようとも、合格点に達しなければ受かることはありません。つまりここでは、「努力」したことそれ自体は、評価基準に入っていないということです。

しかし世の多くの親御さんは、何よりも自分の子供が一生懸命に努力する姿を見るのが好きなのではないでしょうか。たとえ結果が出なくても、何かに精一杯打ち込んだことに価値がある。それはたしかにひとつの真実であると思います。だがその一方で、子を見守るこの「親心」こそが、我が子の学力向上を妨げる足枷となってしまうことがあります。

「努力することそれ自体」を褒められ慣れている子供は、「努力によって結果を出す」ことではなく、「努力することそれ自体が目的化してしまう」からです。

「努力」は良い結果が出たあとに「過去形で褒める」

たとえば受験生である我が子が、一日中机にへばりついて勉強している。人の親であればその姿を見て、褒めてあげたくなるのは道理でしょう。しかし子供の側に立ってみれば、もしもこの段階で「長時間机に向かっていること」を褒められた場合、「長時間机に向かっていさえすれば良い」と思ってしまうものです。

本当に大事なのはその「内容」であり「質」であり、その「努力」から導き出される「結果」であるはずなのに、ただ「努力」することで必要十分であると考えてしまう。しかし実際には、味覚の狂った料理店の店主が、一生懸命にまずい料理を大量に作り続ける「努力」が社会にとって「迷惑」でしかないように、世の中にはそれ自体では価値のない、褒めてはいけない「努力」というものがたくさん存在しています。

子供の「努力」をいっさい評価するなと言っているのではありません。「努力」すること自体は、尊いことであると私も思います。しかしそもそも「努力」という要素は、「結果」を出したときにはじめて評価基準に上がってくるものです。点数や偏差値が上がるなど、なにがしかの明確な「結果」が出たときにはじめて、「頑張ったな」とそれまでの「努力」を過去形で褒めてあげるべきなのです。

「結果」を上げるためには、「結果」にすべての評価基準を置くしかない

逆に言えば、「結果につながらない努力」を褒められた場合、褒められた人間は、当然同じく「結果につながらない努力=失敗」を再度繰り返すことになります。「結果は出なかったけど頑張ったんだからいいじゃないか、次もまた頑張ろう!」という褒め方では、また同じことになるのは目に見えているわけです。

つまり「結果につながらない努力」は、「努力」として認めてはならないということです。冷酷に思われるかもしれませんが、「結果」を上げるためのモチベーションを引き出すためには、「結果」にすべての評価基準を置く以外にないのです。

もしも子供の「努力」が「結果」につながらなかった場合は、その「努力」自体を褒めるのでも、「結果」だけをけなすのでもなく、「頑張ったのに結果が出なかったとしたら、その努力の方向性が間違っていたのではないか」ということを、本人に気づかせることが何よりも重要です。

「結果」を求めるかわりに、「結果」以外のことは求めない

「結果につながらない努力」は褒めず、「結果につながる努力」だけを褒めていくことで、受験生本人の「努力の精度」は確実に向上していきます。そしてそれは何も難しいことではなく、基本的に数字で判断し、数字の前では言い訳を認めないということです。最終的に志望校に合格するかどうかは、数字で決まるわけですから。

そのかわり親御さんに求められるのは、「数字的な成果が上がっている限り、子供の自由を認める」という懐の深さです。「結果を求める」姿勢を徹底するためには、「結果以外のことは求めない」という姿勢を明確に表明する必要があります。

もちろん、度を越した自由は論外ですが、「結果を出している限り、ゲームをやっても友達と遊んでも文句を言わない」というスタンスを見せることで、子供は「ちゃんと結果を出していれば、自由が手に入る」という強力なモチベーションを手に入れることができます。

子供は「結果」を評価されることで、必然的に「努力」も手に入る

そして「結果」を出すためには当然、「努力」が必要になるわけですから、「結果」を求められて育った子は、必然的に「努力」をする子になります。「努力」を求めるよりも、「努力」を求められていない子の方が、結果的に「努力」をする子になる。

いかにも逆説的な話ではありますが、受験に合格という「結果」を求めるのならば、「努力」と「結果」のダブルスタンダードではなく、「結果」だけをシンプルに求めたほうが、最終的には「結果と努力、両方ともに手に入る」という最良の結果につながりやすいのです。

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