すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

勉強への苦手意識を払拭するための考え方~「勉強なんて、ぜんぜん特別なことじゃない」

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苦手意識は、それを「特別」だと思う気持ちから生まれる

何かを「苦手」だと感じる場合、その「何か」を特別なものだと思い込みすぎている、ということがよくあります。そういう場合にはまず、苦手と感じているそれが、「特別な何か」などではなく、ほかの多くの普通のことと本質的には同じなのだと理解することが大切です。

「勉強」は「宇宙人」ではない!?

わかりやすくするために、あえて突拍子もない例を挙げてみましょう。SF映画などでもよくありますが、人間が「宇宙人」を苦手だと感じるとしたら、それは宇宙人のことを、人間とは違う「特別な何か」だと思い込んでいるからです。

SF映画では、基本的に最初の段階では宇宙人の「違和感」が強調され、宇宙人は人間から怖れられます。しかし物語が進んでいくにつれ、それまで特別視されていた宇宙人の中に人間との共通点(それは多くの場合、「感情」や「心」)が見出され、苦手意識はやがて「共感」や「友情」へと変わっていきます。そして我々はそれを、ごく自然な心の動きとして受け取っているから作品に感動できるのです。

つまり人間には、特別だと感じたものをまずはいったん遠ざける傾向があるということです。しかしそのようにして反射的に生まれた苦手意識はまた、「特別視」をやめることによって取り除くことができる、ということでもあります。

「勉強」も「仕事」も「遊び」も、やってることの本質はあまり変わらない

たとえばあなたが、勉強を「苦手だ」と感じているとしたら、それは勉強という行動を、他のさまざまな行動とはまったく別の「特別なこと」だと思っているからです。人は、まさに人間にとっての宇宙人がそうであるように、未知なるものを怖れ、遠ざけようとします。つまり、まだ成績の上がっていない、「わからないこと」が多い段階において、勉強という「得体の知れないもの」を苦手だと感じるのは当然の反応であるとも言えるわけです。

しかし「勉強」には、実のところ「仕事」とも「スポーツ」とも、それどころか「遊び」とも本質的に通じる部分が多くあります。言ってみれば、目標に向かって自身のレベルをコツコツと上げ、ひとひとつ「問題=クエスト」をクリアしていく「ロールプレイングゲーム」など、突き詰めて考えていけばもうほとんど勉強のようなものです。

無理に勉強を楽しむ必要はないが、過剰に怖れて崇め奉る必要もない

学校などではよく、「どうせ勉強するなら楽しめ」というような決まり文句を頭ごなしに言われ、「勉強を楽しむ」という考え方にはすでに辟易している人も多いかもしれません。私も学生時代には、正直そういう気休めを簡単に信じるタイプではありませんでした。そもそも楽しくないものを「無理やり楽しむ」という行為自体が「楽しくない」のですから、勉強を「楽しめ」と強要することにはやはり無理があります。

ただ、「勉強」という行為を、勝手に他の行動よりも数段高いところに祭りあげて、過剰に怖れるのはもったいないというか、単純に間違っていると思うのです。「勉強」も「遊び」も、よくよく考えてみると、やってることはあんまり変わらないからです。つまり「勉強」という行為は、人生において全然特別なことじゃないということです。

もしあなたが何かのきっかけで音楽を好きになったら、自分好みの音楽に出あうために、様々な音楽を聴き、たくさんの情報を集め、「どうすればより良い音楽に巡りあえるか」を考えるでしょう。だけど音楽ファンが当たり前のように繰り返しているそのプロセスは、特に音楽を好きでない人にとっては、とても面倒くさい、まるで「勉強」のような「作業」であるわけです。

運動の苦手な人が運動部の練習している姿を見ても、「なぜ勉強よりも辛い作業をわざわざやっているのか」と思うだけかもしれません。旅行が苦手な人にとっては、「旅行の計画を立てる」という、旅行好きならばワクワクするような作業が、勉強の計画を立てるよりもむしろしんどいと感じることもあるのです。

つまりそういった「苦手意識」というのは、勉強に限らず、どんなに楽しげに見える領域にも生まれ得るということです。そして「苦手意識」というものは、それを「特別なもの」だと思って避けているからこそ生まれてしまうものでもあります。

考え方次第で、物事は面白くもつまらなくもなる

いざその世界に飛び込んでみたら、「ああ、こんなもんか」「他のこととあんまり変わらないな」と拍子抜けすることがよくあります。そうしていったん「特別視」する色眼鏡がはずれてしまえば、苦手意識は自動的に消えていきます。

あなたがもしサッカーを観ることが好きならば、理想とするサッカー選手の育成計画を立てるように、自分の受験計画を立ててみる。映画が好きならば、自分が好きな映画を探りあてるときの手順で、相性のいい参考書を探してみる。ゲームが好きならば、自分をRPGの主人公に見立てて、王様目線から次々とミッションを与えてレベルを上げていく。

物事への接し方というのは本当に「考え方」次第なところがあって、どの角度から捉えるかによって、わりと簡単に面白くもつまらなくもなります。

「勉強」は「巨大な敵」などではなく、人生の「味方」である

以上のように、「勉強」のプロセスには、あらゆる物事との共通点が存在しています。まずは勉強というものをあまり特別なものと思わず、人生のあちこちで普通に行われている出来事のひとつとして、あまり構えずに捉え直してみましょう。

いつの間にか身についてしまった苦手意識によって、まるで「巨大な敵」のように肥大化してしまっている勉強というもののイメージを、まずは等身大に戻すこと。勉強とは本来、人間を成長させるという意味において、「敵」ではなく「味方」なのです。もちろんナメてかかってはいけませんが、とはいえ「勉強というものだけが、人生において特別なことである」なんてことはまったくないのです。

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