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すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

偏差値の上下動が激しい受験生は、勉強のやり方が間違っている

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偏差値が安定しない受験生は致命的な問題を抱えている

勉強の成績にはもちろん、偏差値や点数の「高←→低」という明確な判断基準があります。しかしもうひとつ忘れてはならないのは、成績が「安定している←→安定していない」というのも、受験生にとって非常に重要な情報であるということです。

言い替えると、「成績に激しい波があるかどうか」ということになると思います。標準的なケースであれば、良しにつけ悪しきにつけ、模試の成績などはさほど乱高下しないものです。いったん上がった数字が大きく下がる場合には、やはり何か致命的な問題点があると考えるべきです。

受験においては、圧倒的に「ホームラン<打率」

こういった偏差値の上下動が激しいタイプは、野球でいえば試合終盤のここぞという場面で代打起用されるタイプの「打率は低いが一発のあるホームランバッター」といったところでしょうか。しかしこと全体のアベレージで評価される受験という場においては、正直ホームランよりも打率のほうが圧倒的に重要です。

つまり偏差値が10以変わるような大きな上下動というのは、入試において致命傷になり得ると言うことです。少なくとも、数字の上限をあてにして勉強計画を立てるわけにはいきません。基本的には下限のほうの数字が、現時点における実力だと捉えて立て直しをはかる必要があります。

模試の手応えと点数が比例しないタイプは要注意

そしてこの成績が不安定なタイプの特徴は、毎度「試験の手応えが間違っている」ことが多いということです。「結構できたな」と感じた模試の結果が思いのほか悪かったり、逆に「全然駄目だった」と諦めていた模試の成績が意外と良くて驚いたり。

そういうタイプの人は、テストというのは当たるも八卦当たらぬも八卦、その振れ幅が当然だとたかをくくっていたりするのですが、それは大きな間違いです。なぜならばそんなイチかバチかのテストでは、学生の良し悪しを判定できない、つまりテストにならないからです。

逆にいえばテストというものは、「手応えのあった問題はできていて、手応えのなかった問題は間違っている」というのが正常な状態であるわけです。もしそうでなかったら、基本的には自分の手応え、つまり感覚のほうが間違っているということになります。

もちろんテストの質が悪かったり的はずれだったりすることも中にはありますが、その場合には「今回は受験で出ないところばかり出されたからできなかった」と自分でわかっているのであれば問題はありません。これもまた「手応えのなかった問題は間違っている」という正常な反応のひとつであるからです。

テストの手応えと結果が一致しない人は、「わかる/わからない」の判定が甘い

ではなぜ試験の手応えと結果が矛盾してしまうのか? そして偏差値が毎度安定しないのか? それにはいくつかの要因がありますが、基本的に言えるのは、普段の勉強法が間違っているということです。

受験勉強の基本はまず、自分にとって「わかること」と「わからないこと」を正確に見極めることです。しかしテストの手応えと結果が一致しない人は、普段の勉強におけるこの「わかる/わからない」判定が甘いか、あるいはロクに判定せずに進めてしまっている可能性が高い。

その結果、「自分ではわかっていると思っている箇所がわかっておらず、憶えていると思っている箇所を全然憶えていない」というようなことが頻繁に起こります。もちろん、その逆が発動すれば成績は急上昇するわけですが、「わかっていないと思っていたことが実はわかっていたっぽい」というような曖昧な状態を、間違っても「勉強ができている」と判断してはいけません。

そのように再現性の乏しい想定外の奇跡は、本番でアテにするにはあまりに頼りなさすぎるからです。そして勉強というのは「わからないこと/憶えていないこと」をひとつずつ「わかること/憶えていること」に変換してゆく作業ですから、自分の「わからないこと/憶えていないこと」を正確に把握するという第一段階がきちんとできていない限り、正直手の打ちようがないのです。でもここを面倒くさがる人、けっこう多いです。

「わからないこと」という確固たる素材があってはじめて、それに手を加えて「わかること」という製品を作り上げることができる。勉強のイメージとはそのようなものですが、この「わからないこと」という素材がフワッとした曖昧な状態だと素材として使い物にならず、なんの製品を作ることもできない、という残念な結果を招いてしまいます。そこらじゅうに形を持たないガラクタが転がっているだけ、という惨憺たる状況になってしまうのです。

「わからない箇所」の炙り出しを普段からしっかりやることで、成績は自ずと安定していく

こういった不安定な事態を改善するためには、まずは普段の勉強から、やり方を根本的に改める必要があります。とにかく片っ端から知識を詰め込んだり、ただ時間をかけて繰り返すというやり方ではなく、「どこがわかっていてどこがわかっていないのか」「どこを憶えていてどこを憶えていないのか」を明確に把握するところからはじめるやり方を身につけなければなりません

そのためには、できなかった箇所に印をつけることで「弱点を可視化」したり、理解の曖昧なところは放置せず、すぐに「基礎まで遡って固め直す」など、一個一個のプロセスを丁寧にやっていく必要があります。反対に言えば、偏差値の上下動が激しい受験生は、これら一個一個の作業が雑であるということになります。

そしてこれはつまり、自分の実力と全体像を丁寧かつ正確に把握するということです。いまの自分にはどこの何が足りなくて、まずはどこからどのような順序で手を打っていくべきなのか。自分がわからないこと/憶えていないことをはっきりと認識することで、自動的に対策は明確になってくるはずです。その作業を怠らずに普段からやっていれば、成績は自ずと安定していきます


exam.hateblo.jp

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勉強とは「自分の弱さと正面から向きあう作業」である

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すべての勉強は「敗北」した状態からはじまる

勉強とは基本的に、自分の「知らないこと/わからないこと」を、ひとつひとつ「知っていること/わかっていること」へと変えてゆく作業です。つまりその初期段階においてはまず、自分が「知らない/わからない」という、目の前の状況に対し「敗北した」状態に置かれるということです。勉強における「苦しさ」とは多くの場合、この「知らない/わからない」という「敗北状態を受け入れることの困難」を指しています

目の前の問題を解けなかった場合、それは一時的に「負けた」状態であると言えます。ではこれを「勝った」状態に、つまり「知っている/わかっている」状態にするためにまず必要なことは何か? それは「負けた自分自身から目をそらさず、しっかりと向きあう」ということです。

「観察」なくして「治療」なし

解けなかった問題というのは、現状におけるあなたの弱点を示しています。つまりそこにはなんらかの不具合があり、傷があるということです。そうなればあなたは自らが医者となって、自分自身を治療しなければなりません

治療の第一歩は、まず何よりも的確な「診察」です。そして診察の基本は、当たり前ですが「傷口をよく見る」ことです。しかし成績が伸び悩んでいる受験生の多くは、実のところこの診察の基本中の基本が、つまり「傷口をしっかり見る」という行為ができていません。チラッと見るだけでいい加減に流してしまったり、あるいは「傷口などわざわざ見たくない」と怖がって見て見ぬふりをしてしまいがちです。これでは治療など、できるはずがありません。

失うほどの「自信」など本当にあるのか?

自分自身の傷口、つまり弱点と正面から向きあうというのは、たしかに気の進まない行為かもしれません。弱点をしっかり見つめることで自信をなくしてしまうかもしれないし、「ちゃんと向きあった結果、それでも解決策が見つからなかったらどうしよう」という気持ちもわかります。

しかしその程度で折れてしまうような自信ならば、それは単なる過信であるということです。そもそも問題を解けていない時点で、自信など必要ありません。「知らない/わからない」という状態を怖がるのではなく、それが当たり前だと思い、まずは受け入れねばなりません

学生にとって、「知らない」のも「わからない」のも別に恥ずかしいことではなく、いま現在の成績が芳しくないことさえ恥ずかしいことではありません。「最終的に志望校へ合格できない」という結果だけが恥ずべきことであり、それでさえ自分自身に対して抱くべき感情であって、勉強に際しては、誰に対しても格好つける必要などありはしないのです。

「自分の弱さ」と向きあったときにはじめて、「勉強の面白さ」が見えてくる

自分自身の弱点と向きあうのは、誰にとってもつらく面倒なことです。しかしこと勉強に関しては、弱点を発見し、それらをひとつひとつ潰していくことで、弱点を長所に変貌させることができます。弱点をたくさん見つければ見つけるほど、長所を増やすチャンスを手に入れていることになるのです。

勉強は、最初から面白いわけではありません。「できない自分」と向きあうことを怖れず、医者として冷静にひとつひとつ問題点を見つけ出していくことで、「知らない/わからない」という苦しさを、徐々に「知っている/わかっている」という面白さに変えてゆくことができる。「自分の弱さ」と向きあわない限り、「勉強の面白さ」もまた姿を現してはくれないのです。


exam.hateblo.jp

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受験勉強に特別な「集中力」などいらない

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受験生が陥りやすい「集中力神話」

受験生のあいだには、どういうわけか「集中力神話」というものがあります。二言目には「自分は人より集中力がないから勉強ができない」という人が非常に多いのです。

しかし本当にそうなのでしょうか? そういう人たちはむしろ「集中力」という目に見えない力に、期待しすぎているのではないでしょうか。W杯決勝戦でPKを蹴るような、特殊な場面で求められる集中力は別かもしれませんが、少なくとも受験勉強レベルで求められる集中力など、取りたてて言うほどのものではありません坐禅を組んで無の境地に至ったうえで行うような作業ではないのですから。

入試会場は、必ずしも集中できる環境ではない

むしろ「もの凄く集中した状態でなければ勉強ができない」としたら、そちらのほうが問題です。なぜならば入試当日の受験会場は、けっして「完全に集中できる環境」などではないからです。

日本の受験シーズンは真冬ですから、周囲に風邪をひいている生徒がいてあちこちから頻繁に咳が聞こえるなど日常茶飯事です。他にも、隣の人が貧乏揺すりをしていたり、遅刻して入ってきてしばらくドタバタしている受験生がいたり、テスト中に鉛筆や消しゴムを落とす人がいたり、変なタイミングでトイレに行く人がいたり。近所を廃品回収車が大声をまき散らしながら通ることもあれば、それ以前に他の受験生の鉛筆の音が耳障り、なんてこともあるでしょう。

勉強内容だけでなく環境面に関しても、受験当日から逆算して考える

受験勉強というのはもちろん、入試当日のためにやるものですから、すべてをそこに合わせて、目標地点から逆算してやっていかなければなりません。それは環境面についても同じで、当日以上に静かで整った、つまりは自分を甘やかした環境で勉強を重ねていると、本番で実力を発揮できなくなってしまうことが少なくありません。

本番当日の、けっして完璧とはいえない状況下で本領を発揮するためには、以下二つのことを普段から心がけておく必要があります

【入試本番で本領発揮するために必要なこと】その1~「勉強する環境にこだわりすぎない」

まず一つめは、「あまり勉強する環境にこだわりすぎない」ということ。過度な静寂はもちろんのこと、「自分は自習室でないと勉強ができない」とか、逆に「他人がそばにいると勉強できない」といったような限定条件をつけないで勉強をしたほうが良い、ということです。

もちろん、自習室は比較的受験会場に近い状況であると言えますから利用価値は大いにありますが、「自習室でしか勉強できない人」の多くが「周りでみんなが勉強していないと自分も勉強できない」というパターンに陥りがちなのも事実です。

なので自習室は「バリエーションのひとつ」くらいに捉えておいて、「自分はひとりでも、どんな状況下でも勉強できる」と構えておいたほうが、しっかりと自分のペースで勉強できるようになります。

【入試本番で本領発揮するために必要なこと】その2~「『勉強に特別な集中力などいらない』と考える」

そして受験当日に本領発揮するために、普段の勉強で心がけておくべきことの二つめは、「そもそも勉強に特別な集中力などいらない」と考えることです。逆転の発想というか、すっかり身も蓋もない話ですが、「集中しないと勉強できない」という考え方自体が、そもそも先入観でしかないのです。

たとえば好きなゲームをやっているときのことを考えてみてください。あなたはそのゲームをはじめる前に、「よし、これから集中するぞ!」とわざわざ決意してからはじめたりはしないはずです。なのにいつのまにやら集中していたらしく、終わってみたらとんでもない時間が過ぎている。このように集中力というのは、集中しようと思って発揮するものではなくて、「どうやら集中していたらしいな」と後から気づくものなのです。

集中力は、集中しようとして得られるものではない

つまり集中力というのは、いつも結果論だということです。勉強をやりはじめたばかりの時間帯には集中できなくても、やってるうちにそのうち集中しているものなのです。本当は集中しているにもかかわらず、集中している最中は勉強に意識が集中しているがゆえに、自分が集中していることにすら気づいていないというだけです。

「寝ている最中には自分が寝ていることに気づかないように、集中しているときは自分が集中していることに気づかない」という逆説がそこにはあるわけです。

その結果、「自分が集中できていないのではないか」とつい考えてしまうのは、いつも勉強をはじめる前や終わった後など「集中していないとき」に限られるので、どうも自分はいつも集中できていないように感じられてしまうのです。

「とりあえずやっているうちに、そのうち集中してくるだろう」

そして「どうも自分には集中力がないらしい」→「だから勉強ができないんだ」とつい考えてしまうわけですが、これはもちろん、単なる言い訳でしかありません。集中力それ自体が成績を上げてくれるわけではないですから、過度に集中力を崇拝するのはぜひやめましょう。

多少勉強に身が入らないときでも、「なんだか集中できない」と簡単に諦めるのではなくて、「とりあえずやっているうちに、そのうち集中してくるだろう」くらいの感覚で、あまり構えずにスッと勉強に入っていく。そういう勉強のはじめ方を覚えると、徐々に勉強が苦にならなくなっていくはずです。


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