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すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

伸びる受験生は今日できることを明日に延ばさず、明日できることを今日しない

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「時間」という制御困難な要素を味方につけるために

世の中には、「今日できることを明日に延ばすな」「明日できることを今日するな」という両極端な人生訓があります。「ならいったいどうすりゃいいんだよ!」って話ですが、わざわざ二種類言われているということは、つまり時と場合によってどちらも必要だということです。

もちろん受験勉強においても、それは例外ではありません。ここは適材適所でいきましょう。

どんなに今日という日を頑張っても、「質」が伴わなければ意味がない

まず前者の、「今日できることを明日に延ばすな」という気構えに関しては、勉強についてもよく言われることですが、「それができたら苦労はねえよ」という人も多いと思います。たしかに毎日できる限りのことをしていれば、確実に成績は伸びていくような気がします。

しかしそれはまた、見事に「質より量」という古典的な受験神話に陥っていると言うこともできます。無理せず明日に回せばいいことまで頑張って今日中にこなしても、そもそもそれが的外れな内容であれば、そのぶん寝たり遊んだりしたほうが、別の効果(体力回復、ストレス解消など)があるぶんだけマシかもしれません。

つまり、あくまでも「質」が伴わない限り、この人生訓は役に立たないということです。

「わからない箇所を発見した直後」は、「わかることを増やす」絶好のチャンス

そこでいま少し、ピンポイントな部分に的を絞って考えてみましょう。勉強において「今日できることを明日に延ばしてはならない局面」というのは、いったいどういう状況なのか?

是が非でも「即時対応」のスタンスを適用しなければならない場面、それは勉強中に「わからない箇所を発見したとき」です。

「わからない箇所を発見したとき」は、「わかることを増やす」最大のチャンスです。そして人間、わかっている箇所は忘れにくいが、わからない箇所はすぐに忘れてしまいます。わかっていることは保存が利きますが、わからないことは賞味期限の非常に短い、いわば「生もの」なのです。

わからない箇所を発見したにもかかわらず、「後日気が向いたら調べよう」とか、「また次にどこかで出くわすだろうから、そのとき調べりゃいいや」などと悠長に構えていると、「次に出あったのは本番の入試会場だった」という笑えないオチが待っているのが世の常というものです。

ですから、「問題箇所の発見と解決はワンセット」であるということをまず心掛けてください。わからないことに遭遇したら、先送りにせずその場で調べること。もし調べてもまだわからない場合でも、諦めずに必ず「どこがどうわからなかったのか」を記録に残しておき、その「わからなさ」を忘れないうちに、先生に訊くなり別の参考書を調べるなりして解決してしまうことです。

そういう場合にはたしかに、「今日できることを明日に延ばすな」という姿勢は有効であると言えるでしょう。

受験勉強の大敵は「調子の波」

さて、ではもう一方の「明日できることを今日するな」という言葉は、受験勉強におけるどのような場面で有効なのでしょうか。これは簡単に言ってしまえば「頑張りすぎるな」という意味に取れますが、では頑張りすぎて何が悪いのか、と。

しかしこの言葉の本質には、「ペースを乱すな」という意味が隠されているように思います。「調子のいい日に明日の分までやっとこう」という気持ちの裏には必ず、「調子の悪い日にはあんまりやらなくていいや」という気持ちが眠っています

そもそも成績がまだ上がってこない状態で「勉強の調子がいい日」など滅多になくて当然ですから、そういった「調子の波」をいったん認めてしまうと、挽回不可能な借金がどんどん嵩んでいくことになります。

つまり「調子の波」を作らずコンスタントに勉強を続けていくためには、「調子のいい日」などという滅多にない日の存在を認めないほうが良いのです。

自分の中に「調子の波」を認めたが最後、ほとんどの日が「調子の悪い日」のような気分になり、ほぼ毎日が「今日できることを明日に延ばす」日になってしまいます。たまに訪れる「頑張る日」の存在が、はからずも大量の「頑張らない日」を生み出してしまうのです。

長距離走である受験勉強において、頻繁にスパートをかけるとペースを見失う

よく受験勉強はマラソンにたとえられますが、いわば「勉強の調子がいい日」に翌日のぶんまでやってやろうというのは、マラソンでいえばスパートをかけるようなものです。計算上は、スパートとスローダウンを頻繁に繰り返しても、トータルでタイムが上がれば良いということになります。

しかし現実には、そんな全速力と徒歩を交互に繰り返すような、極端にリスキーな走り方をする一流選手はいません。

スパートは、かけるにしてもロングランの中では一度か二度が限界でしょう。しかもあれはレース上の駆け引きとしてやる必要があるときにやるもので、記録だけを純粋に追求するのならば、おそらくはスパートなどせずに一定のペースで走り続けたほうが、ベストタイムが出る可能性は高いはずです。

エアコンも、スイッチを入れた直後の「立ち上がり」の段階がもっとも電源を食うといいます。レース中に何度もペースチェンジをすると、スローな状態からいちいちペースアップするたびに、繰り返し「立ち上がり」時の多大な負担を身体にかけることになってしまうのです。

つまり、結果的には一定のペースで走っていたほうが速いし楽でもあるということを、みんな体感的にわかっているから、マラソンランナーはああいう一定の走り方をしているのです。

大事なのは、わからないことを先送りにせず、調子の波を作らないこと

受験勉強においては、「今日できることを明日に延ばすな」は「わからない問題を先延ばしにしない」こと、「明日できることを今日するな」は「受験勉強に調子の波を作らないこと」と解釈して、限られた「時間」と柔軟につきあっていくことが肝要です。


exam.hateblo.jp

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結果を出したいのなら、自分の「数字」から目を背けてはならない

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すべての「数字」には意味がある

言うまでもないことですが、受験とは「数字」によってすべてが評価される世界です。逆に言えば、「数値化」できない能力は、少なくとも受験においては意味がありません。高得点という「数字」を求めるのならば、まずはあらゆる数字から目を背けず、真正面から向きあうことが必要です。

数字には、言葉と同じく必ず意味があります。しかしなかなか成績が伸びない受験生の多くは、自身の模試の得点や成績表に記された数字から、しっかりとその「意味するところ」を汲み取ることができていません

成績の悪い人ほど、全体の偏差値と合格判定をパッと見てショックを受け、「これ以上はもう見たくない」という気持ちになってしまい、小問レベルの出来/不出来の数字まではなかなか見たがりません。そこには今後の勉強における指針となる、重大な情報が隠されているというのに。

「数字」から、自分が今後やるべきことを炙り出す

数字というのは、現状における自らの「実力」「問題点」「得意/苦手分野」というものを顕在化させてくれます。だがもちろん、それらを知るだけで満足してしまってはいけません。そういった要素をひと通り読み取ったうえで、そこからさらに一歩進み、自分が今後「やるべきこと/やらなくていいこと」を炙り出すまでが、本当の意味で「数字を読む」ということです。

同じ「偏差値52」という数字であっても、人によってその構成要素は大きく異なります。そして目標としている大学がどのレベルにあるかによっても、その数字の意味するところはまったく違ってきます。

そして模試の成績表などを見る際には、全体や科目別の数字はもちろん、小問レベルの得点率にまで目を通し、「得意分野」と「苦手分野」を確実に把握してください

さらにその上で、各分野において自分の「想定」と「結果」がどれくらい一致しているのか、あるいはかけ離れているのかを見極めましょう。

たとえば、「あまり勉強していない分野の数字が伸びていない」のであれば、単に勉強量が不足している可能性が高いですが、「かなり時間をかけて勉強している分野なのに、あまり数字が伸びていない」となれば、それは「その分野の勉強の方法を根本的に変える必要がある」ということを示しています。

あなたがマークした「数字」は、情報の宝庫である

つまり、結果としてはまったく「同じ数字」であっても、その意味するところは個々人の文脈によって違ってくるわけです。

そのレベルまで読み取ってはじめて、数字というのはその意味を発揮してくれます。数字とはけっしてプレーンなものではなく、読み方によってそこからさまざまに有益な情報を引き出すことができます。これは社会に出てからも常に要求される能力のひとつです。

数字上の「弱点」は、すなわち「伸びしろ」の別名である

模試の結果などの「数字」と向きあう際に大事なことは、目の前の数字に対して過剰に喜んだり落ち込んだりせず、それを「他人事として冷静かつ客観的に見る」ということです。そのうえで、自分の「長所」よりは「弱点」を、医者が患者を診察するようなスタンスで徹底的に見極めましょう。

「弱点」といえば聞こえが悪いですが、勉強における「弱点」とはつまり「伸びしろ」のことです。たとえば模試の配点で15点満点中12点取れている分野は、それ以上勉強したところでもうたいして伸びませんが、5点しか取れていなければそこには大きな「伸びしろ」が潜んでいるということになります。

人間、どうしても得意なことばかりやりたくなりますが、全科目の「総合得点」が重要になってくる受験においては、そこに「伸びしろ」が大きいぶん、得意なことよりも苦手なことを重点的にやったほうが、結果につながりやすいのです。

「数字」が上がれば、苦手意識は自動的に消滅する

そしてこれは案外自分でも気づいていなかったりするのですが、苦手な分野というのは、実のところ本当にその分野の勉強内容が嫌いで苦手なわけではなく、「単に点数が取れないから苦手」という本末転倒なケースも多いのが事実です。

逆にいえば、人は自分が上手くできることを嫌いになるのは難しいですから、逆説的なことを言うようですが、「点数が取れるようになってしまえば自動的に苦手意識はなくなる」ものです。

むしろ、「数字を吟味する中から積極的に苦手分野(=伸びしろ)を発見することによって、得意分野を開拓するチャンスが増えていく」と理解することで、自分がマークした数字と客観的に向きあうスタンスを身につけましょう。

「数字」という雄弁なツールと正面から向きあうことで、自分自身の進むべき方向が、自ずと見えてくるはずです。


exam.hateblo.jp

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「なんとなく」をやめれば成績は自動的に伸びる

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あらゆる努力を台なしにする「なんとなく」の圧倒的な魔力

「受験」というのはひとことで言えば、「すべてを数値化して評価する/されるシステム」です。試験を課す学校側は、あらゆる項目において白黒はっきりつけていかなければ、生徒を選別することができません。

そういった明確なルールの範囲内で闘う以上、我々が日常生活において駆使している「なんとなく」という曖昧な感覚は、受験勉強の足を引っ張るだけでなく、あらゆる努力を台なしにするほどに圧倒的な力を持っています。

「なんとなくの正解」は本質的には「不正解」である

たとえば普段問題集をやっているときに、確信は持てないがなんとなくフィーリングで選んだ選択肢が正解であった場合、それはたしかに結果として正解であることに間違いはありません。しかしあなたが受験生ならば、それを本質的には「完全な不正解」と見なさなければなりません。

なぜならばそのあと施すべき対処に、不正解のときと同じ手順が求められるからです。「曖昧な正解」と「不正解」は、いずれも「フォローが必要である」という意味において、まったく同質かつ同レベルの「失策」であるわけです。


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必要なのは「今の正解」よりも「未来の正解」

問題に不正解であった場合と同様に、確信を持って正解を選べなかった原因を探り、足りない知識を補うことで、次に同じ問題に遭遇した際には自信を持って答えられる状態にすること。そこまでやらない限り、勉強する意味などまったくないといっても過言ではありません。

重要なのは「今の正解」ではなく、「この先同じような問題に出遭ったときコンスタントに正解すること」のほうですから、なんとなく正解したことに満足して次へ進んでしまうことは、問題に取り組んだそれまでのプロセスを台なしにし、成長を完全に放棄することを意味します。

「正解」にもいろいろな「正解」がある

つまり結果としては同じ正解であっても、そこには「完璧な正解」と「なんとなくの正解」という二種類の正解があり、後者には不正解に対するのと同様の手当てが必要不可欠であるということです。

そしてさらに細かく分けるならば、同じ「なんとなくの正解」であっても、「理解はできたが記憶事項が曖昧な正解」と「丸暗記しているが理解できていない正解」では対処法が異なりますし、「理解も記憶もしていないフィーリングによる正解」や「単なる幸運による正解」に至っては、完全に不正解として扱う必要があるのは言うまでもありません。

これは過去問を解いた際の感触や模試の成績表などにも言えることで、「たまたま得意な範囲が出た」とか「悩んだところが運良く当たっていた」といった「なんとなく」の要素による成績の向上は、きちんと差し引いて自己評価を修正したほうが良いでしょう。

人間のすることである以上、原因と結果の間に「運」や「勘」などのカウント不能な要素が混じるのは必然ですが、普段からそんな不確定要素に頼っていると、肝心な自分自身の現在地を見失うことになります。

「正解の中の不正解」を見出せるかどうかが、のちに成績の決定的な「差」となって表れる

受験勉強とは基本的に「間違えた問題をひとつずつ解けた問題に変えていく作業」であり、それを続けていれば成績は自動的に上がります。そして「間違えた問題」だけではなく、実はこのように「解けた問題」の中にも「間違えた問題」に相当する課題が潜んでいることが少なくないのです。

特に模試などの場合、正解を確認した喜びや安堵から、この「正解の中の不正解」を見出す作業を怠り、「結果的に間違えた問題だけを見直す」というだけの人が結構多いのではないかと思います。

逆に言えば成績レベルの差とは、そこまで徹底して「なんとなく」の要素を排除する姿勢を貫けるかどうかの差であり、また「それだけの差でしかない」とも言うことができます。

個々の部品の精度が飛行機や自動車など大きな機械全体の品質を支えているように、「なんとなく」という不純物を排してひとつひとつの作業精度を高めていくことが、のちに決定的な成績の「差」となって数字に表れてくることになります。


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