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すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

参考書の「まえがき」を読み飛ばしてはならない

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安易に「効率」を求めるあまり、手前にある宝を見落としていないか

受験生活がはじまると、とにかくなんでもかんでも「効率」を求めるようになります。それはもちろん悪いことではないのですが、一見して効率よさげに見えるものが、実際に効率よく働いてくれる可能性というのは、実のところあまり高くはありません

勉強しているにもかかわらず成績が伸び悩んでいるとしたら、これまで自分が効率を求めるあまりに捨ててきた部分、見逃してきた部分に向きあってみることを考えましょう。まだ「要/不要」の選球眼が育っていない段階で下した判断基準は、けっこう間違っていることが多いのです。

「参考書」とは「RPG」である!?

これはゲームの世界、たとえばロールプレイングゲームRPG)を例に考えてみればわかりやすいと思いますが、物語が前へ進まなくなった場合、かなり序盤の段階で重要な情報を見落としているというケースが少なくありません。ストーリーの序盤では、まだそのゲーム全体の「世界観」が見えていないため、「何が重要で、何が重要でないか」の判断がついていないからです。

これがゲーム中盤へと差しかかってくると、世界観つまり「製作者側の意図」が自然と掴めるようになってきて、ストーリー進行上「絶対に必要な情報」と「無視しても構わない情報」を徐々に見極められるようになります。

ついでなのでゲーム的表現のまま、参考書についても考えてみましょう。参考書一冊を一本のゲームと考えたとき、そこにはやはり製作者の作り出した「世界観」というものが間違いなくあります

参考書序盤には未熟だった受験生が、その参考書を仕上げるころには入試問題という難敵に敢然と立ち向かう勇者に成長している。参考書の主目的は、当然それを使った「受験生のレベルを上げること」ですから、そこには明らかにRPGとも共通した育成の手順が、あらかじめ仕込まれているわけです。

参考書製作者の「育成プラン」を読み取ろう

RPGというゲームスタイルの本質は、プレイヤーにとってはたしかに「冒険」です。しかし作り手の側からしてみると、「どうやってこの主人公に、ラスボスと対決できるだけの実力をつけさせていくか」という、ある種参考書的な「育成プラン」が求められてくるわけです。

ではその、ゲームの重要な世界観の鍵を握っているともいえる「育成プラン」は、参考書のどこを読めばわかるのか。参考書の「育成プラン」は親切なことに、だいたい冒頭の「まえがき」部分(もしくはそれに類する箇所)に記されています

「なんだ、そのまんまじゃないか」と思われる方も多いかもしれませんが、ここをすっ飛ばしていきなり本文に取りかかっている人が、実際のところかなり多いのです。しかもこのまえがき部分に関しては、一言一句読み飛ばさず精読する必要があります。なぜならばそこには多くの場合、その一冊をもっとも効率よく利用するための「方針」と「方法」が書かれているからです。

「まえがき」から参考書の「想定レベル」設定を見極める

その参考書がどのレベルをスタート地点に、どのレベルをゴールとして設定しているのか。「読んで理解」すればいい場所と、「理解した上で記憶」すべき場所はどのように分けられているのか。前から順番に積み重ねていくべきなのか、苦手箇所から手をつけるべきなのか。あるいはわからないことがあったときに、辞書代わりに参照すべき一冊なのか、そこまで網羅しているわけではないのか。

特に、その一冊を完璧に仕上げた到達点がどの大学のレベルにあるのかは、間違いなく使用前に把握しておかなければならない最重要項目です。ゴール地点が志望大学にフィットしていなければ、非常に効率の悪い勉強を積み重ねていくことになってしまうからです。

反対にいえば、それらの方針や方法が「まえがき」の部分から読み取れない参考書は、かなり不親切な参考書だと判断して良いでしょう。「そのぶんの労力を、本文や解説の部分に注ぎ込んでいる」という親切な見方も可能ではありますが、おおむねあらゆる箇所において「ケチ」で「不親切」である可能性が高いと思われます。

最初に全体の「世界観」を把握することが、その先の跳躍力を生む

こういった「まえがきの重要性」は、参考書だけでなく、予備校の授業を受ける際にも言えることです。「初回はまだ本格的な授業には入らないだろうから、なんとなく聞いておけばいいや」などと思って聞き流していると、その先生が打ち出している方針や方法、言ってみれば世界観を掴まえる最大のチャンスを失うことになり、その先とんでもない非効率を招くことになってしまいます。

結果を求められる世界で、人はとかく先へ先へと行きたがるものですが、実は誰もが見過ごしがちな手前の場所をしっかりと見つめることで、その先へとつながる大きな跳躍力を手に入れることができる、ということがよくあります。「効率」を求めるならば、まずは目の前にある宝を見逃さずに獲得することです


exam.hateblo.jp

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ちょっとユルめの大学受験回顧録

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いつも読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。

このブログを初めて以降、ちょっとタイトなことばかり書きすぎたような気もするので、たまには僕自身の受験生時代の話でも書いてみようと思います。

いつものように「方法論」として書いていると、かなり息詰まるような受験勉強をしてきたと思われがちですが、正直周囲に比べても、そこまでせっぱ詰まった感触はありませんでした。当ブログの説明文にもあるように、まさしく「適量の努力」といった按配というか。

受験生の皆さんにはその感触を味わってもらって、少し気を楽に持ってもらえたら、と思って自分の体験を書いてみることにします。

プロフィール欄に書いてあるとおり、僕は現役時代(高3時)の大学受験では7戦7敗でした。もともとマスコミ志望だったので、マスコミへの就職実績を調べた結果、早稲田が圧倒的に有利なことを知り、早稲田を中心に受けましたがものの見事に連戦連敗。

でも自分でもちょっと変わっていたなと思うのは、もともと僕は高3の序盤の時点で友人らに「俺、浪人するから」という謎の「浪人宣言」をしていたくらいで、この全敗という結果にたいして落ち込まなかったということです。

いまになってみると、なぜそんな宣言を偉そうにしていたのかわかりませんが、高校の成績は中の下だったので、まあ現実的に間にあわないと感じていたというのもあります。

ただもうひとつ感じていたのは、「学校の勉強と平行する形ではなく、完全に受験に特化した方向で勉強ができれば確実に受かる」という感覚で、結果論的に見ればそれは事実でした。

そして少々不思議なことが起こります。僕は受験に軒並み失敗して、浪人が決定した直後に予備校の入塾テストを受けたわけですが、なぜかこの入塾テストの成績が凄く良かったんです。逆にいえば、「入塾テストでこれだけ取れるなら、どっか受かるだろ普通」ってくらいに。これには僕自身も驚きました。

でもこれも、いま考えてみるとたいして不思議なことではないんです。人間は失敗から学ぶといいますが、その失敗の度合いが深刻であればあるほど、きっと学ぶことも大きいんです。

といっても前述したように、気持ち的には想定内の結果だったのでたいして落ち込んでいたわけではないのですが、一方でまさかこんなにも「運」が通用しない世界だとは思っていなかったわけです。

そしてこれはやっぱり自分自身に問題があると改めて痛感した僕は、7つ受けた入試問題の間違えた箇所を、受験したその日のうちに全部洗い出して、徹底的にチェックしていたんです。そして僕の成績が最も伸びたのは、後になってみればこの受験に落ち続けた2~3週間のあいだだったんだと思います。

もちろん入塾テストの成績が良かったとはいえ、僕の勉強はまだまだ穴だらけでした。しかしここで小さな自信を得られたおかげで、予備校時代は常に模試で上位をキープすることができ、特待生に認定されて学費をかなり免除してもらえました。そのときにもらった予備校長の顔が彫り込まれた「謎メダル」2個は、いまもなんとなく捨てられずにいます。

浪人しといて特待生って、親孝行なんだか親不孝なんだかって感じですが…。もっと早い段階から勉強して現役で受かっとけよ、っていう自戒も込めて、このブログでは「僕が浪人してからでないと気づけなかったこと」を現役生の皆さんにもお伝えできればと思って書いています。

でも正直、人間ガツンと失敗したあとでないと聴く耳を持たないのが普通なので、そこはもう「失敗する前に聴いておいたほうがいいよ」としか言えないのですが。まあ僕も、いざ自分が受験に失敗するまでは、「いまのままでなんとかなるかも」とか甘いことをどこかで思っていましたし。

他にも自習室で終始寝ていた話とか、中古CD屋とラーメン屋とゲーセンにほぼ毎日通っていた話とか、受験生の皆さんの参考になるんだかならないんだかわからない思い出が結構あるような気がするので、ときどきこうして書いていきたいと思っています。

受験勉強で「何をどれくらいやるか」に迷ったら、過去問に訊け

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「定期試験」と「入学試験」の決定的な違いとは?

「早稲田へ入るためには、AとB、どちらの英単語帳をどれくらいやればいいですか?」
慶應に受かるには、やっぱり特別な小論文対策が必要でしょうか?」

受験に際してそういった疑問を抱き、誰かにその答えをズバッと言い切ってほしいと願っている受験生は、かなり多いのではないかと思います。いっそのこと大学側が「これとこれをやって来い」と指定してくれたなら、どんなにラクだろうかと。

そしてまさにそここそが、学校の定期試験と入学試験の、決定的な違いであるわけです。競争相手と同じ教科書で学び、試験範囲までが親切に指定されている学校の定期試験に慣れている学生たちは、実のところこの「何をどれくらいやるべきか」ということを自分で決めるという経験をほとんどしていないのです。

定期試験の勉強には「これをこれくらいやれば大丈夫」という補助輪がついている

これはつまり、学習において非常に重要な第一段階を、ごっそり省かれた状態でこれまで勉強してきたということです。受験生の多くが「何をどれくらいやるべきか」を他人に決めてもらいたがるのは、いまに至るまでそういう勉強の仕方しかしてきていない以上、むしろ必然であると言えるわけです。

補助輪のガッツリついた自転車でレースをしてきた子たちに、いきなり補助輪なしの自転車で、しかも自転車選びの段階から自分でやれと言っても、混乱してしまうのは当然と言えば当然の話です。

多くの受験生が受験計画を立てる段階でつまずいてしまうのは、これまで自分に補助輪がついていたことを、つまりいろんなことを周りの人が決めてくれていたことを、しっかりと認識していないからです。

しかし勉強というものは本来、「これをこれくらいやれ」と指定されてから始めるものではなく、「何をどれくらいやるべきか」をまず自分で決めるところからスタートするものです。そしてそれは、少し面倒ではありますが、そんなに難しいことではありません。それは本当に、自転車から補助輪を外す程度のことです。

志望校の過去問から「どこからどこまでをどれくらいの深さでやるべきか」を読み取る

大学受験においては、定期試験と違い「これさえやっておけば大丈夫」と約束された参考書/問題集は一冊も存在しません。しかしだからといって、打つ手が何もないということではありません。なぜならば、定期試験における試験範囲と同様に出題範囲を限定してくれるものとして、志望校の「過去問」というものがあるからです。

むろん過去問は定期試験における教科書ほど絶対的なものではないうえ、すでに過去に消費されたものですから、「これさえやっておけば大丈夫」とまでは言えません。

志望校の「テスト範囲」を知るには、過去問をやるしかない

しかしその一方で、過去問からは「ここからここまでのところを、このくらいの深さでやっておけば大丈夫」という、受験勉強全体の指針となる非常に大きなヒントを読み取ることができます。つまり過去問は、志望校が受験生に求める勉強の「範囲」と「深度」を教えてくれるのです。

ゆえに「受験勉強をするうえで過去問をやっているかやっていないか」というのは、「定期試験においてテスト範囲を知っているか知らないか」というくらいの、決定的な違いをもたらす最重要情報であると言えます。

そして過去問をやる以外に、志望校の「テスト範囲」を知る手段はありません。だからこそ、志望校の過去問には受験勉強の初期段階で当たって(もちろん砕けて良い)おく必要があります

取るべき方法のヒントはすべて過去問の中にある

ここで改めて冒頭に挙げた二つの設問に立ち戻るならば、その答えはいずれも「過去問の中にある」ということになります。志望校がどのレベルの英単語力を求めているのか、そしてどのレベルの、どんな方向性の小論文を求めているのか、その情報の手がかりは過去問が雄弁に語ってくれています。

そして過去問が求めているレベルと、現時点における自分自身の学力との格差から、「何をどれくらいやるべきか」が自動的に決まってくるのです。

くれぐれも「過去問は最後の力試しに取っておこう」などともったいつけて後まわしにしないように。過去問は「貴重な情報源」として初期段階から活用していくものです。


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